短期大学部18回(昭和53年卒)
木村 照雄


 美土会会員の皆様におかれましては、お元気でご活躍のこととお喜び申し上げます。
 東日本大震災の被災地域の皆様には謹んでお見舞い申し上げます。そして、一日も早く復旧されますことをお祈りいたします。
  去る6月下旬に1泊2日で大阪へ行く機会があり、高速バスで徳島自動車道の吉野川ハイウエーオアシス(足代)から出発しました。お天気も梅雨の合間の「晴 れ」と恵まれ、車内からの探索は絶好の機会でありました。私は出来るだけ外の風景を観察(?)するようにしていますので。《例えば東京への旅行の場合で昼 間の新幹線利用では道中の目的が主に2点ありました。1点目は、各河川における状況(吉野川のような水量が有るのかどうか・河川敷の状況等)。2点目は、 名古屋駅あたりを過ぎて東への丘陵地帯での延々と続く茶畑、また農作物の作付け状況などを見ることでした》。今回の大阪行きでも、大鳴門橋・明石海峡大橋 の世界に誇れる日本の技術水準を改めて感じたところです。また神戸では先の大震災の爪痕を感じない復興した町並み。終点の大阪駅、さらに高層ビルの連なる 大阪市内等久しぶりの都会の活気と喧噪を味わったところです。
 先の戦争の壊滅的な状況の中から我が国が飛躍的に復興した大きな要因の一つに次ぎ の事が挙げられています。戦後、全国の農山魚村の次三男(女)達が仕事を求めて都会で出て行った。カバン一つに、表は「自由」ではあるが裏は働かなければ 「飢える」という片道キップを握りしめて。異境の地で働き、出会い、所帯を持ち、必死で生きてきた結果が日本の戦後の復興の一端を担った・・・と聞いてお ります。
 卒業以来41年が経過しました。落ち着いて会員名簿を眺めてみると「勤務先・役職名」欄が空欄の諸兄がみられます(当然私もその内の一人です)。
  定年退職により職業生活からリタイアした場合。定年退職とは会社との別れをはじめ、「7つの別れ」が訪れてくるといわれます。会社との別れが具体的になる のは先ず肩書きとの別れです。これまでは「部長」とか「課長」と呼ばれ尊敬を受けていたのに退職後は「ただの人」になってしまう。
 3つめは金と の別れです。働かなくなるのですから賃金がなくなるのは当然のことです。4つめは定年をきっかけに突然やってくるというものではないが家族との別れです。 子供達は独立してしまい配偶者にも先立たれることがあるかもしれません。中には、長年連れ添った妻から三下り半をつきつけられるということもないとは言い 切れません。以下の項目の詳細は紙面の関係で省略致します。5つめは生き生きとした情報との別れです。6つめは人間関係の縮小です。7つめは健康との別れ です。生涯設計とか人生設計という言葉を耳にするようになったのは、1975年当時の三木首相の私的諮問機関である学者グループによって作成された「ライ フスタイル計画」からです。

定年からの出発

 定年は、職業生活の終着駅だがそこで人生が終わるのではなくそこから職業人以外の自分を発見したり、創造したりする可能性秘めた始発駅です。定年 までの生活は、組織に縛られたり、他人を支配したり他人に服従したりの状況であるが、定年後の生活は、私利私欲・他人の評価に思い悩む事からの解放、人生 を楽しむ自由、公益のために働く自由など人生の最も恵まれた時期と言われています。ある機関誌で次の文章に出会いました。
 『花眼(かがん)という言葉を見つけた。花のように可愛い女性の瞳ではなくて老眼のことだそうだ。
  若い頃は仕事や生活に取り紛れ足早に通り過ぎた人生だが、眼に衰えを覚える年齢になって初めて誰もが季節の花に心寄せ人情の機微に敏感になる。花の眼とは 年配者がすべての事を飲み込んで優しくものに接する心に違いない。「要領の良い人は早足の旅人に似ている。人より先に到達できる代わりに道端の肝心のもの を見落としている・・・・」と言った作家がいたそうだが、花眼の眼を持つことは素晴らしいことなのかもしれない』。