物作りとしての 「陶芸工学」
工学部12(昭和39年卒)
佐 岡 暖 也
昭和39年卒の同窓生の諸兄!ご無沙汰です。
私事ですが、今年(平成23年)3月、兵庫県生きがい創造協会いなみ野学園(高齢者大学)陶芸学科(4年制)を卒業しました。知事などの列席のもと卒業記念作陶展(花器など4作品以上出展)も無事クリアし、作陶の免許皆伝(?)を授与されました。4年間の積もり積もった不燃物ガラクタ陶器は処分しても足・腰痛が残りましたが、それにも懲りず、引き続き4月から県の「陶芸の村」に通いはじめております。現役時代の物つくりとは違う粘土での「物つくり」に生きがいを見つけたと申しますか、これしかないと、老いの手習いに苦戦と至福の時をもっております。
長大橋建設盛隆期の現役時代に、「橋梁工学」を専攻、鉄構会社に入社し、本四架橋では大鳴門橋、南北備讃瀬戸大橋、来島大橋の設計関係に関わる共に、明石海峡大橋では、現場代理人・所長として設計・製作・工事に携わりました。また、阪神大震災では、震災直後無残に崩れた橋梁群の現場に立っていとおしく涙があふれ、関係者の連日・連夜の復旧工事に汗を流した人間の底力を思い知るなど、橋・「物つくり」一筋の会社人生でありました。今、東日本大震災では、阪神大震災とはその規模、時間は比較にならないと思いますが、復旧・復興に向けて人間の底力を確信しております。こんな技術畑一直線の男が、4年前に何をどう血迷ったのか「陶芸」をやることになりました。「芸(芸術)」には縁遠く、感性もセンスもない者にとって、まったく未知の世界に入り苦戦と諦観の境地に直面している次第です。
土木工学では、粘土は厄介者でしたが、陶芸では粘土(陶土)によって作品の表情をいろいろと表現できます。一般的な作陶の手順は、粘土を成形→乾燥→素焼(約800度)→釉薬(うわぐすり)掛け→本焼(約1250度)となります。この工程の中に絵付けなど種々の技法があります。粘土は、白い粘土、砂・小石混じりの粘土、鉄分を含んだ赤い粘土など産地・成分とブレンドにより多くの種類があります。釉薬は、灰系(基礎釉)、鉄系、銅系など市販のものと、また、個人で調合したものなど無限になります。さらに、本焼窯での炎の加減(酸化・還元焼成)で、思わぬ表情と発色が出(景色)て、その出来栄えは神頼みに近いものがあり、奥が深いと言われます。これこそ、教えられるものではなく、経験し修得するしかなさそうです。橋屋の「物つくり」とは全然異にします。そのためか、粘土成形時でも凸凹や、構造バランスの悪いものは気にかかり、到底、オブジェなどは自分には性に合いません。こんな状況にて、芸術作品など程遠く、「ボケ」防止のための粘土細工による工学的作陶と割り切っております。身近な湯呑み、茶碗などを作っても、重たいと言って誰ももらってくれず(陶芸では所望される以外、人様に差し上げると言っては駄目だそうです)、夫婦の日常生活に手つくり食器として使う楽しみ程度です。時々、妻のきつい評価を聞き流しながら。そう、我が家のペット(トイプードル)は餌食器として黙って使ってくれています。後は不燃物ガラクタとしてゴミ処分されます。ただ、陶芸みたいなものをやっていたらしいいという証しとして、孫達に陶印(サイン)を刻したオンリーワンの湯呑みか茶碗を残すことを夢見ています。
NHK大河ドラマ“江”のなかで、千利休が使った黒楽茶碗は、利休が変化・誇張・装飾などを極限におさえて長次郎に焼かせた抹茶茶碗の設定と思います。楽茶碗は、楽土を手づくね成形により、口縁は僅かに波打ち、丸みのある胴にぬくもりを感じます。時々、自分で焼いた黒楽茶碗(赤楽もあります)もどきで、夫婦で簡単な抹茶を立て、3時を味わうのもなかなか良いものです。陶芸に出会った賜物です。
(黒楽茶碗もどき)
昭和39年卒の同窓諸兄も、今年で全員が古希を通過すること、めでたい限りです。統計によれば、70歳では平均余命が約15年だそうです。まだ15年、もう15年です。平均余命ではなく健康余命(寿命)とし、子のため妻のため、ピンピン・コロリを心掛けようではありませんか!